道院沿革
設立年度(西暦) | 1985年 |
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沿革/役職履歴など
淡路緑道院は、当初は「淡路緑支部道場」として、1985年に設立しました。
修練場所は、地元の広田小学校講堂。3年後、当時の町民センターの一室に移動。エアコン完備で、快適な環境となりましたが、床はコンクリートにPタイル張り、足腰にはきびしいものがありました。
拳士数が増えてくる中、文化施設の町民センターから、体育施設へ移動してほしいとの要請を受け、緑町サンライズ体育館へ。エアコンがなくなり、夏の暑さ、冬の寒さの試練に加え、困ったのは、ママさんバレーの練習日とバッティング。鎮魂行の時は、悲しくなりました。
集中して修練に打ち込める専有道場がほしい、切実な目標が出来ました。数年がかりで妻を説得し、夫婦でローンを組んで、専有道場の建設に着手。1992年に、念願の専有道場が完成しました。
50畳の道場スペースの他に、学科の勉強会や打ち合わせに使える部屋も。もちろんエアコン完備、いい環境の中で思いっきり拳法に打ち込みたいという夢が実現しました。
1995年の阪神淡路大震災では、少しのダメージは受けましたが、本体は大丈夫でした。
50歳の時に、頸椎の大きな手術をし、初めての長期入院を経験した時は、存続のピンチでしたが、幹部拳士が、道場を支えてくれました。
2003年に大導師を取得し、正式に淡路緑道院長として本山から任命され、2024年、道場設立39年目の春を迎えます。
修練場所は、地元の広田小学校講堂。3年後、当時の町民センターの一室に移動。エアコン完備で、快適な環境となりましたが、床はコンクリートにPタイル張り、足腰にはきびしいものがありました。
拳士数が増えてくる中、文化施設の町民センターから、体育施設へ移動してほしいとの要請を受け、緑町サンライズ体育館へ。エアコンがなくなり、夏の暑さ、冬の寒さの試練に加え、困ったのは、ママさんバレーの練習日とバッティング。鎮魂行の時は、悲しくなりました。
集中して修練に打ち込める専有道場がほしい、切実な目標が出来ました。数年がかりで妻を説得し、夫婦でローンを組んで、専有道場の建設に着手。1992年に、念願の専有道場が完成しました。
50畳の道場スペースの他に、学科の勉強会や打ち合わせに使える部屋も。もちろんエアコン完備、いい環境の中で思いっきり拳法に打ち込みたいという夢が実現しました。
1995年の阪神淡路大震災では、少しのダメージは受けましたが、本体は大丈夫でした。
50歳の時に、頸椎の大きな手術をし、初めての長期入院を経験した時は、存続のピンチでしたが、幹部拳士が、道場を支えてくれました。
2003年に大導師を取得し、正式に淡路緑道院長として本山から任命され、2024年、道場設立39年目の春を迎えます。